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大学進路のすゝめ
「先輩が語るサッカー受験秘話」

無断転載禁止 大学進路のすゝめ<br>「先輩が語るサッカー受験秘話」
取材・文/編集部 写真/JUFA

夏は一番成長する季節と言われるが、高校3年生にとっては現実的に進路を考える時期でもある。「大学でサッカーを続ける」そんな選択肢を考えている者も多いだろうが、その手段と方法は? 見事合格を勝ち取り、大学サッカーの第一線で活躍する先輩たちに話を聞いた。

サッカーで大学に入る? 大学に入ってからサッカーをする?

“大学サッカー”といえば、全国での輝かしい実績を残したプレーヤーだけが集う選民思想のイメージがないだろうか。「スポーツ推薦」に代表されるように、サッカーの実力で大学に入り、部での活動を続ける方法だ。しかし、実際には一般入試・推薦入試、指定校推薦といったサッカーの実績に関係のない方法で入学し、第一線で活躍を続ける選手は大勢いる。
今回紹介する3人、戸嶋祥郎(筑波大)、杉田真彦(順大)、瀧本高志(日体大)は、高校時代の実績はそれぞれ違えど、現在、関東大学リーグ1部にてスタメンとして出場している選手たちだ。彼らに共通することは「自らが動いて」大学合格を勝ち取ったということ。彼らの3年次の夏と今の自分を照らし合わせて、ぜひ大学進路への参考としてほしい。また1、2年生には近い未来の課題としてしっかりと向き合ってもらいたい。
3人の大学合格までの流れ
戸嶋祥郎
一般入試
6月21日、天皇杯2回戦でJ1のベガルタ仙台を相手に3-2のジャイアントキリングを果たした筑波大学蹴球部。そのピッチ上、先発として右サイドハ ーフで躍動したのが戸嶋だ。高校時代は市立浦和高校で背番号10 を背負ってプレーした。偏差値70 近い進学校ながら、選手権優勝4回(59、60、64、 72年度) を誇る古豪で、3年次には選手権に出場。惜しくも1月3日の3回戦敗退となったが、彼の“もう一つの戦い”はその時から始まっていた。
「大学進学を明確に意識したのは、高校3年に入ってからです。僕はもともと国立大でサッカーを続けるつもりでした。私大だとスカウトだったり、セレクションだったり、なかなかサッカ ー部に入れないと思っていました。県内でも県外でも自分より上手い選手をたくさん見てきたので、勉強で入ってサッカーを続けられる国立大学と決めていました。高校の池田(一義)監督が筑波大出身で、いろいろ推してくれたことも大きな要因です。
それでも選手権まではサッカーを100%全力でやると決めていて、ウェイトを勉強に置くことはなかったです。3年次の夏、インターハイはあっという間に県予選で終わってしまいましたが、受験に切り替えるのではなく、メンバーのほとんどが選手権へ向けて全力で取り組みました。
普段の一日のスケジュールは、9時~16時が授業、16時から18時30まで部活、19時に帰宅して20時から2、3時間勉強をして就寝。今ならSNSとかゲームとかスマホの誘惑があったと思いますが、当時はなかったのが幸いでした(笑)。部活がメインでしたが、毎日の勉強は欠かさなかったと思います。
埼玉県代表として出場した選手権は、 3回戦で負けたので新年の1月3日にサッカー部を引退。センター試験まで2週間しかなかったので、そこからは“受験モード”に完全に切り替わり、1日10時間は勉強しました。筑波はセンター試験で8割がボーダーですが、僕は7割ちょっと。前期日程の試験は国語、数学、英語、理科、社会の5教科とスポーツの実技があり、なんとか合格できました。
筑波大蹴球部は今年160人部員がいて、スポーツ推薦は20人。つまり一般で入学した選手が100人以上もいるんです。僕も入学当初、先輩方は雲の上の存在でしたが、トップチームに帯同するチャンスをもらったので、必死についていきました。その結果、 9月の後期リーグ戦からコンスタントにトップチームで出場させてもらうようになりました。僕のような選手もいるので、高校生には諦めずに大学サッカーの門を叩いて、ぜひチャレンジしてほしいと思います。
合格のキモ
杉田真彦
AO入試
杉田が順天堂大学蹴球部を目指すきっかけになったのは高校2年次での関東遠征に遡る。監督が順大のOBだった関係で、練習試合に参加。当時大学1年生だった長谷川竜也(川崎フロンターレ)ら、憧れの選手を目の当たりにし、「ここでプレーしたい!」と決意。しかし静岡西高校は激戦区・静岡を勝ち上がり、全国の切符を掴める戦力ではなかったという。彼が望みを懸けたのは、日々の学校の成績と、誰にも負けない熱意であった。
「静岡西高校サッカー部は僕の年代では、とても全国なんて考えられませんでした。3年次のインターハイでは県大会にすら行けていません。それでも高校の小長谷(太作)監督からは、順大は『サッカーだけじゃなく人間性も学べ、社会でも通用する人間になれる』と聞いていて、練習試合をさせてもらった経験からも、どうしても行きたかったんです。でも、サッカーの実績では絶対に引っかからないし、高校は順大の指定校推薦もなく、一般入試も自信がない…。そこで考えたのがAO入試でした。
偏差値は決して高い学校ではなかったですが、成績は常に1位でした。順天堂大学スポーツ健康科学部のAO入試の枠は非常に限られたものでしたが、そこに懸けてみようと。勉強自体は朝起きて1時間コンスタントにやっていました。部活と自主練が終わって、帰宅する21時にはヘトヘトだったので風呂に入って夕食を食べて寝ていました(笑)。その分、部活で疲れていても授業だけはしっかり受けるように心がけていましたね。授業をちゃんと受けていれば、家でやらなくていいし楽ですよ。
夏は順大の練習会にも参加して、入部の想いはさらに強まりました。僕の時のAO入試は9月に出願、10月が試験で、集団討議・面接試験、あとは小論文を行いました。面接ではスポーツや健康の関連分野など、サッカー以外のこともアピールしたと思います。結果、倍率は15倍くらいでしたが見事合格することができました。小長谷監督にとっても教え子で初めての順大合格者だったらしく、すごく喜んでいただきました。
順大入学当時の吉村雅文監督時代は入部の前に、監督、先輩一人一人と『どうやってチームに貢献するのか、将来どういう人間になりたいか』といった面談を行いました。熱意は誰よりもあったと思うので、入部を許され、今に至ります。もちろん、当初は洗礼を受けましたが、今では順大蹴球部の一員として関東一部リーグを戦ってプロを目指しています。文武両道は絶対にできます!高校生の皆さんは自分に甘えず、環境のせいにしないで、ぜひ大学サッカーにチャレンジしてほしいと思います。
合格のキモ
瀧本高志
スポーツ推薦
大阪の強豪校・履正社の9番を背負い、高校2年次には世界で戦える若き才能を発掘するプロジェクト「NIKE CHANCE」(現「NIKE MOST WANTED」)の国内選考会を勝ち抜き、“日本代表”として、英国開催の「グロ ーバルファイナル」に参戦。13、14年度の選手権ではベスト8進出と、瀧本の高校時代の実績は傍から見ても非常に輝かしいものだ。しかし高校3年生の夏までに、彼のもとに届いた進路を決めるオファーはゼロ。彼は待つのではなく、自ら動き出すことを決めた。
「進路を考えたのは3年になってからでした。高卒でプロになりたいとは思っていましたが、「NIKE CHANCE」も運がよかったのもあるし、最終的に合格にはなりませんでした。履正社でも個人的には結果を残していなかったし、実力的にプロは厳しいかと。そこで漠然と大学かと思っていましたが、どこからも声がかかることもなく時間だけが経って、気づけば夏になっていました。さらにインターハイも県予選で負けてしまい、これは自分から動き出さないとえらいことになるなと(笑)。
そこで知り合いの方が日体大の卒業生で、夏にセレクションがあることを教えてもらいました。もともと関東に興味があったし、ここに懸けてみようと決心しました。関西から関東に行くのも費用がかかるし、ここは一発で決めてやろうと(笑)。7月のセレクションでは高体連所属とクラブチーム所属で分けて開催されていました。内容はゲーム形式で、最初は100人ほどいましたが、どんどん落とされていって、最終試験に残ったのが2チーム22人。フルコートでゲームを行い、セレクションは終了しました。
後日、監督から連絡があり、12月にはスポーツ推薦での入学が決まりました。その後、インターハイ県予選の負けから、履正社は選手権ベスト8の星稜戦で負けるまで22連勝を記録しました。その間にはスタメンで出られないときもあって、不貞腐れたりもしましたが(苦笑)、自分から動き出して、夏に進路を明確にできたことは大きかったです。大学サッカーは思ったよりもレベルが高くて、1年目はいろいろ苦労しましたが、自由な時間が圧倒的に多く、考えてプレーできるようなりました。簡単ではないけど今もプロを目指しています。
高校生に伝えたいのは、例えサッカーの実績があっても、待ちの姿勢では大学の道はなかなか開けないということです。まずはHPを見ることからでもいいので、自分から大学サッカーにアプローチしてほしいと思います。
合格のキモ

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